8月15日(終戦記念日)に【靖国神社】を考える

靖国神社本殿

安倍晋三首相は15日午前、東京・九段北の靖国神社に玉串料を私費で奉納した。玉串料奉納は7年連続で、参拝は見送る。

超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久元参院副議長)メンバーもそろって参拝する。これに先立ち、自民党の萩生田光一幹事長代行、小泉進次郎厚生労働部会長らが個別に参拝した。

8月15日が来ると、公の立場にある人が、参拝するかどうかで、なぜこんなにもニュースのになるのでしょうか?

靖国神社

 

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靖国神社の由来は?

靖国神社は、明治2年(1869629日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社がはじまりです。

幕末、長州藩で結成された奇兵隊士の霊を弔うために、高杉晋作が招魂社造営を発議したことに始まり、その後、68年の戊辰戦争後に、官軍(薩摩、長州、土佐、肥前4藩)将校の招魂祭を江戸城で行うとともに、京都東山では官軍の戦死者を祀ってことを機に、日本陸軍の創始者である大村益次郎が明治天皇に東京に招魂社を創建することを献策したことで、明治天皇は翌69年、現在の東京・北九段に「東京招魂社」を創建し、戊辰戦争の戦没者3,588柱を合祀した。その後1879年に、軍直轄だった東京招魂社は、「靖国神社」に改名したのだった。

靖国神社を設立した大村益次郎の像

      大村益二郎の像

旧陸軍、海軍両省が管理する軍事的宗教施設

国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社ですが、軍事的宗教施設であるため、明治維新から太平洋戦争までで、天皇のためにたたかって死んだ軍人・軍属だけを祀っています。「別格官幣(かんぺい)社」という特別の社格を与えられ、国家神道の中心的神社と位置づけられた。

このため、賊軍と見なされている、「西南戦争」で明治政府に反抗して戦死した西郷隆盛や、「佐賀の乱」を起こした江藤新平会津藩の白虎隊合祀されていない。原子爆弾や空襲の民間犠牲者、旧「満洲」など外地で死んだ一般国民などはまつられていない。一方で、戊辰戦争以前の「安政の大獄」で江戸幕府によって処刑された吉田松陰橋本左内らは“新政府側”ということで合祀されている。戦死ではなく結核で病死した高杉晋作も合祀されている。こうした対応に、いまでも不満を持つ人がいるのが現実だ。

基本的には軍人をお祀りするものですが、その他軍属(軍隊に所属しているが軍人ではない人、例えば通訳や従軍僧侶など)、一緒に戦ってなくなった官吏、警官、民間人などもお祀りされています。反対に全くお祀りされていないのは自衛官です。これは第二次大戦までの死者に限定しているからです。 

天皇制政府と軍部は、天皇への「忠義」を尽くして戦死し「靖国の英霊」になることを最大の美徳として宣伝。靖国神社を、戦争に国民全体を動員するための精神的な支柱として持ち上げたことも事実でしょう。

 菊のご紋

靖国神社のご祭神

靖国神社の目的が「国家のために一命を捧げられた方々の霊を慰め、その事績を後世に伝えること」にあり、明治維新の際の殉難者と明治以降の戦争において戦い没した御霊がお祀りされていて、その数約246万6千柱になります。

靖国神社本殿

軍国主義が復活する?

靖国神社は、明治維新以降、「国のために命を捧げた」246万柱以上とされる軍人や軍属、警官らを「英霊」として祀ていることは、先述した。戦後は、国から離れて一宗教法人となった。1978年には東条英機元首相ら「A級戦犯」も合祀した。
このA級戦犯を祀ったことにより、「過去の戦争を肯定、美化しようとしている」と批判が出る一方で、靖国にまつられることを信じて戦死した「英霊」に祈りを捧げないのはおかしい、との主張もある。

中曽根首相が靖国神社を公式参拝した際には、自民党政権は軍国主義の復活を目指しているのだ、と厳しく非難していました。しかし、それから35年以上立って軍国主義にはなっていませんが、立場によっていろんな捉え方解釈がなされています。

政教分離とは?

政教分離については、元々中世のヨーロッパでは、キリスト教の教会が人々を支配していたので、強かった教会の力を奪って絶対王政、そして国民国家となっていくわけですが、教会の力が復活されては困るので、政治と教会は分離すべき、ということになったのが、そもそも政教分離という考えが生まれた背景です。

だから、政治に宗教が絡むことは何ら問題はなく、そこを分けるということは厳密には難しい問題があります。なぜなら、宗教的要素は生活の中に息づいていて、そこだけを排除することはできないからです。

なので、靖国神社と国が何らかの関わりを持つことは、その歴史そして日本人の習俗から言えば当然の事だという主張もあるし、司法判断ではその内容によって特定の宗教への援助促進でなければよいという「目的効果基準」が通例となっています。政教分離については、日本ではきちんと解釈を明確に示してもらいたいものです。

A級戦犯について

靖国問題のなかで、大きな問題になっているのはいわゆるA級戦犯を祀っているとうことです。

戦犯の合祀は、1959年にB,C級戦犯から始められ、A級戦犯14人ついては70年初めに靖国神社の崇敬者総代会で合祀することが了承された。しかし、国民感情への配慮から実現したのは78年だった。当初、公表は控えられたが、翌年の報道で知られることになった。

だが、A級戦犯の合祀された後も、自民党歴代内閣の首相は靖国参拝を行ってきた。福田赳夫(1回)、大平正芳(3回)、鈴木善幸(9回)、中曽根康弘(10回)、橋本龍太郎(1回)、小泉純一郎(6回)、安倍晋三(1回)の7人の首相が、首相在任中に参拝をしている。福田赳夫首相は合祀をした翌日に参拝したが、合祀された事実を報告されていなかったとしている。また、宮沢喜一首相は、参拝したかしないかを明らかにしていない。

昭和天皇による靖国神社「親拝」は、戦後になって合計8回(45年、52年、54年、57年、59年、65年、69年、75年)行われた。しかし、19751121日を最後に天皇陛下の親拝は中止されている。その理由について、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたからだとの意見、見方もある。

8月15日の首相の参拝

中曽根首相は終戦記念日の815日に閣僚17人とともに参拝

「二拝二拍手一拝」の神道形式ではなく本殿で一礼し、公費から供花料を支出した。「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根首相の狙いは、憲法に抵触しない形での「公的参拝」への道筋づくりであった。かしわ手を打たず、玉串料でなく供花料を公費から支出するなどの方法であれば、憲法が禁止する宗教的活動に該当しないと判断したとの談話を発表した。

中韓両国が猛反発した小泉首相の815日参拝

靖国神社のあり方に新たな問題を投げ掛けたのは、2001年に首相となった小泉首相だった。小泉首相は、「首相になったら815日にいかなる批判があろうと必ず参拝する」と明言した。しかし、中韓両国などの反発から、首相就任後、初めて参拝したのは813日だった。公約を破っての参拝に、国内からは「選挙対策でしかなかった」との批判も受けた。

「アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」と述べるとともに、「こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧げたい」との談話を発表したが、退任を前にした5年後の2006815日早朝、現職首相としては中曽根元首相以来21年ぶり、自身としては6回目の靖国神社参拝を行った。モーニング姿で本殿に入り「二拝二拍手一拝」の神道形式ではなく一礼形式の参拝を行った。

中国、韓国が猛反発し、中国外務省は「日本軍国主義者らによる戦争の被害国の国民感情を傷つけ、中日関係の政治的基礎を破壊するもの」との非難声明を発表。韓国外交通商省も、「深い失望と憤りを表明する」との報道声明を発表した。

それによるアジアの国々(中国、韓国がメイン)からの反発もあって、そのたびに摩擦が起こっている状況はどうにか解決しないといけない問題なのでしょうし、この神社の起源からの色合いからの国内ので反発などもあるのでしょう。

しかしながら、不戦への誓い・平和の誓いを立てることに反対をする人はいないと思うのです。その1点だけで、手がつなげる世の中になっていくことを祈ることも終戦記念日に思うことではないでしょうかね。

千鳥ケ淵

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