あなたは自分の家の家紋をご存知ですか?その由来とは。

内閣総理大臣紋章

知ってますか? あなたの家の家紋―。

丹波新聞の記事が取り上げられていました。

自分の家の家紋を知らない人が増え、

このままでは一般社会から消えてしまう

恐れもあるという日本固有の文化に

危機だと言わていますが、その家紋に

ついて少し掘り下げてみたいと思います。

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家紋といえば水戸黄門

「この紋所が目に入らぬか!

恐れ多くも先の副将軍、

水戸光圀公であらせられるぞ!」

と印籠の紋所を示すことで

「お~、はは~ぁ」

と悪代官らは即座に平身低頭するのです。

徳川家の家紋である「三つ葉葵」の入った

印籠の紋所を示ことで、これから発せられる

黄門様のお言葉が、徳川家の命であり、

その権威に畏れ多いと殊勝になっていく

シーンを思い出してしまいます。

それくらい、家紋を通してそのおじいさんが

それだけのお立場の方なのだと瞬時に

理解させるだけの意味がある、

それが家紋なのだということを

理解ができるドラマでしたね。

徳川家家紋

家紋の由来

家紋とはその家を象徴する今でいえば

「ロゴマーク」のようなもので、

代々受け継がれていくものです。

ルーツは平安時代の公家が、

自分の持ち物を他と区別するために

つけた目印の紋であったようです。

 

武家の時代となった鎌倉時代の初期には

まだ武家には家紋はなかったようです。

やがて、戦いをするにあたり

敵か味方かを区別する必要から、

その目印として家紋が広がったのです。

 

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江戸時代の家紋について

徳川幕府は「苗字帯刀」に代表される

身分制度は厳格にした一方、

家紋の使用には寛容でした。

 

当初は徳川家の家紋である「葵の紋」の使用に

規制をしていなかったため、

やがて町人が葵紋の入った物を勝手に売ったり、

葵の紋の入った服を着て悪いことを

する浪人などが出てきたため、

享保年間に葵紋使用禁止令

が出されることになったとのこと。

 

規制により、徳川家以外の使用が厳重に

禁止されたことで葵の紋が権威の象徴となり

あの水戸黄門の紋所を見せられた

「はは~ぁ」の反応となるわけですね。

 

武家にとっての家紋

徳川家の象徴されるように、家紋はまさに

武家の権威の象徴

であったわけです。

地方の大名にとっても家紋は格式を表す

シンボルでした。

 

参勤交代の大名行列でも家紋は重要な役割を

果たしていたようです。

当時のお役人は、その家紋を見て

どの大名が来たのかを判断し、

それぞれの家において異なる礼儀作法に合わせて、

接遇する必要があったため、

当時のお役人には家紋やとその家の特徴などに

精通することは公務上必須のスキルであったようです。

 

武家のみならず、町人も知って

適切に対応しないと

わが身に危険が及ばないとも

限らないので

そのために諸大名の家紋をまとめた

大名紋盡(だいみょうもんづくし)

という書物や

「武鑑」という大名や幕府役人の氏名・家紋などを

記した年鑑形式の本が年毎に発行され、

明治に至るまで刊行されていたそうです。

 

庶民にとっての家紋

家紋の使用には寛容であったため、

庶民にとっては江戸時代が家紋の最盛期で、

将軍家の家紋など使用してはいけない

家紋以外は使用におおらかだったため、

名字の代わりに家紋を持つことになったようです。

職人には、製造されるものにつける

印や家紋がブランドとなり、

商家においても、

屋号と同時にのれんに家紋を染めて

同じく信頼の証としてロゴマーク

となっていくわけです。

農家においても、豪農などは家紋を

その家の存在として

使用していたようです。

日本国紋章

まとめ

自分の家紋って、知らないなー

そんな人も多いことでしょう。

私も知らなかったのですが、

本家のお墓参りに行った際

墓石に刻まれた家紋を見つけた時に

自分のルーツに触れた気がして

これを大事にしたいって気持ちになりました。

家族や親族に聞いたり、墓を見たり

仏壇や位牌を見たりして確認もできますから

知っておかれると少し先祖とつながる

気がしてほっこりするのでお勧めです。

 

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