秋の運動会シーズンを迎え、「組み体操」の中止を求める神戸市長と市教委は継続を決めるなど、実際に骨折事故は繰り返される中、その是非をめぐる議論が再燃している。
学校の行事に対して市長には権限はない
久元喜造神戸市長は、市内の秋の運動会で行われた「組み体操」での3件の骨折事故の報告を受けて、
「教育委員会、校長先生をはじめ小中学校の先生方にはやめる勇気を持って下さい」とツイッターで情報発信している。
権限がなくてもやらなければならないときも確かにある。しかし本件は、明確に教育委員会に権限がある。その権限を奪って行使するのは、法治国家のリーダーのやることではない。 https://t.co/TmSXYgbs1w
— 久元喜造 (@hisamotokizo) September 19, 2019
市長の中止要請に強制力はなく、市立小中学校では今秋、168校中92校が運動会で組み体操を実施する予定だ。
市教委の担当者は「組み体操に教育的意義を感じている学校は多い」と強調。
組み体操での事故件数は兵庫がワースト
神戸市を含む兵庫県の組み体操の事故件数は、全国的にみても突出している。
平成29年度の全国の小中学校の組み体操事故は4418人。
このうち兵庫は全体の1割以上を占める566人で、3年連続で全国ワーストだった。
これはこれで、対策を打たないといけない項目ですよね(;^_^A
危険だからこそ「立派な教育活動」になる
スポーツ庁は2016年3月に「組体操等による事故の防止について」という通知を発出し、次のように注意を喚起した。
各学校においては、タワーやピラミッド等の児童生徒が高い位置に上る技、跳んできた児童生徒を受け止める技、一人に多大な負荷のかかる技など、大きな事故につながる可能性がある組体操の技については、確実に安全な状態で実施できるかどうかをしっかりと確認し、できないと判断される場合には実施を見合わせること。
(スポーツ庁「組体操等による事故の防止について」より抜粋)
なぜ巨大化していく事を良しとするのだろうか?
それは、
かつて組み体操の指導書や学校のウェブサイトでは、クラスメートのために自分の痛みや恐怖を抑え込むことに、組み体操の魅力が見出されていた。それが、クラスのなかに信頼感や一体感を生むというのだ。
痛みを我慢するという教育は前時代的となったと言わざるを得ない。我慢の先にある教育は成立しない。それを口外できないのであるから、痛みが極限に達したとき,あとは崩壊するしかない。
むしろ「痛い」ということを口外しながら、どのような組み方が最善であるのかを皆で考えていくことこそが教育ではないか。
国連が日本の組み体操に待ったをかけている
●子どもの権利条約委員会
日本の組み体操の危険性が、傷害からの保護を定めた子どもの権利条約に違反しているとして審査対象とされたことがあった。
日本の人権団体「ヒューマンライツ・ナウ」が、人間ピラミッドなどの組み体操は「極めて危険で重大な事故も起きているのに、日本政府は子どもを守る方策を十分に講じてこなかった」とする報告書を提出し、委員会が受理した。報告書は組み体操の実施見直しを日本政府に勧告するよう委員会に求めている。
まとめ
先生の価値観の中でこんなことを成し遂げた後の達成感というものがあり、それが苦しみの後に手に入れられるという思いから、安全対策が希薄になることに問題がある。
我慢を強いること、耐えることが教育ではないということに刷新しないといけないのだろう。
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